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九蔵遺跡

印刷用ページを表示する更新日:2011年2月25日更新 <外部リンク>

九蔵遺跡(ぐぞういせき)

縄文時代晩期の土坑や鎌倉時代の集落跡、奈良時代の掘立柱建物を発掘

 阿万東町の九蔵遺跡では、ほ場整備に伴う発掘調査において、縄文時代晩期(約2,500~3,000年前)のゴミを捨てた土坑(動物の骨や石器製作時の石屑などが出土)や鎌倉時代の集落跡が見つかりました。
県道・県の区域では、奈良時代の大型の掘立柱建物が見つかるなど、官衙(昔の役所)的な遺跡が見つかりました。

九蔵遺跡の写真
九蔵遺跡

飛鳥時代の大型建物の発掘や耳環の出土

 平成20年度に行われたほ場整備に伴う発掘調査では、飛鳥時代頃とされる大型建物が発見されました。柱を埋めていた穴の直径は1m近くもあり、柱穴からは豪族が耳飾りにしていた耳環(じかん)も出土しています。耳環は銅製の芯に銀メッキが施されており、今も輝きを失っていません。大型建物や耳環は九蔵遺跡に権力者がいたことの証となるもので、海人族(あまぞく)の長のような人物がいたことも考えられます。

権力者がいた証となる耳環の写真
出土した耳環

奈良時代には官衙として機能、製塩土器が多く出土

 九蔵遺跡は、奈良時代になると官衙(昔の役所)として機能し、大型建物がたくさん建てられるようになりました。なぜここが淡路島の中心的な場所の一つになることができたのでしょうか。それはここで都へ税として納める塩が盛んにつくられていたからだと推測されます。当時は土器に入れた海水を煮詰めて製塩を行っており、そのための製塩土器が非常に多く出土しています。

遺跡から多く出土した製塩土器の写真
出土した製塩土器