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懐かしの淡路島写真館【出来事】(1)島の出来事
1.提灯行列
美智子様の御結婚の際、島内でも祝福の提灯行列が行われた。
民間出身ということで、親近感を覚える人が多く、日本中で祝福ムードに包まれていた。
提灯行列は洲本市街地を練り歩き、最後は大浜海岸に集まった。
昭和34年、洲本市大浜海岸
2.常陸宮殿下をお迎え
常陸宮殿下が淡路にお越しになった時の写真。
淳仁天皇陵へ車で向かう中、沿道で地元の人たちが歓迎している風景。
昭和30年代、南あわじ市賀集
3.淳仁天皇陵にて
淳仁天皇陵に参拝される常陸宮殿下と華子殿下。
昭和30年代、南あわじ市賀集
4.バイクレース
競馬場跡地で、バイク愛好者が単車にのって、バイクレースをしている風景。
淡路の人は昔から新しいもの好きで、珍しいため、多くの人が見に行った。私もそのうちの一人だった。
昭和30年代、南あわじ市市青木
5.戦死者の遺骨が帰ってくる情景
戦後まもなく、戦死者が続々と帰ってきた。
英霊として、村長をはじめ、地元の人たちが多く出迎えて、故郷に帰ってきている。
奥さんが遺骨を抱き、遺影を持っているのは弟さんと思われる。
昭和31年に、最後だと思われる戦死者の遺骨が帰ってくる様子。
昭和31年、南あわじ市賀集牛内
6.息子のお墓参り
予科練生を乗せた船がアメリカの艦載機グラマンに襲撃され、みんな亡くなった。
父親が来て、参っている写真。宝塚の出身者が多かった海軍航空隊。
父親が年に何回か来て、息子の霊を拝んでいるのではないか。
自分の息子に手を合わしている。
昭和30年代 、 南あわじ市阿那賀桜ヶ丘、慈母観音像前
7.洪水によって自動車が立ち往生
台風に遭遇した時、土地の低いところで、洪水によって自動車が立ち往生しているところ。
昭和30年代、南あわじ市市
8.夢の架け橋のうたい文句
鳴門海峡大橋ができる前、夢の架け橋のうたい文句が出た看板があった。
昭和30年代、南あわじ市、鳴門岬
9.看板と、観光客を入れた情景
昭和30年代、南あわじ市鳴門岬
10.鳴門架線工事
四国から鳴門海峡を渡って電気を引くために、風船を飛ばして電線をはった。
そのときの風景。淡路側から撮影。
昭和30年代 、 南あわじ市、鳴門岬
11.鳴門架線工事
昭和30年代 、 南あわじ市、鳴門岬
12.鳴門架線工事
昭和30年代 、 南あわじ市、鳴門岬