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懐かしの淡路島写真館【出来事】(1)島の出来事

印刷用ページを表示する更新日:2018年4月1日更新 <外部リンク>

1.提灯行列

提灯行列
美智子様の御結婚の際、島内でも祝福の提灯行列が行われた。
民間出身ということで、親近感を覚える人が多く、日本中で祝福ムードに包まれていた。
提灯行列は洲本市街地を練り歩き、最後は大浜海岸に集まった。
昭和34年、洲本市大浜海岸

2.常陸宮殿下をお迎え

常陸宮殿下をお迎え
常陸宮殿下が淡路にお越しになった時の写真。
淳仁天皇陵へ車で向かう中、沿道で地元の人たちが歓迎している風景。
昭和30年代、南あわじ市賀集
 
3.淳仁天皇陵にて

淳仁天皇陵にて
淳仁天皇陵に参拝される常陸宮殿下と華子殿下。
昭和30年代、南あわじ市賀集

4.バイクレース

バイクレース
競馬場跡地で、バイク愛好者が単車にのって、バイクレースをしている風景。
淡路の人は昔から新しいもの好きで、珍しいため、多くの人が見に行った。私もそのうちの一人だった。
昭和30年代、南あわじ市市青木

5.戦死者の遺骨が帰ってくる情景

戦死者の遺骨が帰ってくる情景
戦後まもなく、戦死者が続々と帰ってきた。
英霊として、村長をはじめ、地元の人たちが多く出迎えて、故郷に帰ってきている。
奥さんが遺骨を抱き、遺影を持っているのは弟さんと思われる。
昭和31年に、最後だと思われる戦死者の遺骨が帰ってくる様子。
昭和31年、南あわじ市賀集牛内

6.息子のお墓参り

息子のお墓参り
予科練生を乗せた船がアメリカの艦載機グラマンに襲撃され、みんな亡くなった。
父親が来て、参っている写真。宝塚の出身者が多かった海軍航空隊。
父親が年に何回か来て、息子の霊を拝んでいるのではないか。
自分の息子に手を合わしている。
昭和30年代 、 南あわじ市阿那賀桜ヶ丘、慈母観音像前

7.洪水によって自動車が立ち往生

洪水によって自動車が立ち往生
台風に遭遇した時、土地の低いところで、洪水によって自動車が立ち往生しているところ。
昭和30年代、南あわじ市市

8.夢の架け橋のうたい文句

夢の架け橋のうたい文句
鳴門海峡大橋ができる前、夢の架け橋のうたい文句が出た看板があった。
昭和30年代、南あわじ市、鳴門岬
 
9.看板と、観光客を入れた情景

夢の架け橋のうたい文句
昭和30年代、南あわじ市鳴門岬

10.鳴門架線工事

鳴門架線工事

四国から鳴門海峡を渡って電気を引くために、風船を飛ばして電線をはった。
そのときの風景。淡路側から撮影。
昭和30年代 、 南あわじ市、鳴門岬
 
11.鳴門架線工事

鳴門架線工事

昭和30年代 、 南あわじ市、鳴門岬

12.鳴門架線工事

鳴門架線工事

昭和30年代 、 南あわじ市、鳴門岬

 

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