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広報南あわじ「市政ひろば1」(令和3年9月号)

印刷用ページを表示する更新日:2021年9月1日更新 <外部リンク>

【特集】認知症になっても安心して暮らせるまちに

認知症とは

認知症は、脳の病気や障害など、さまざまな原因により、認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態をいいます。
※認知機能…物事を記憶する、言葉を使う、計算する、問題を解決するために深く考えるなどの頭の働きのこと

認知症にはいくつかの種類があります。アルツハイマー型認知症は、認知症の中で最も多く、脳神経が変性して脳の 一 部が萎縮していく過程でおきる認知症です。症状はもの忘れから発症することが多く、ゆっくりと進行します。
次いで多いのが脳梗塞や脳出血などの脳血管障害による血管性認知症です。障害がある脳の部位によって症状が異なるため、一 部の認知機能は保たれている「まだら認知症」が特徴です。症状はゆっくり進行することもあれば、急速に進む場合もあります。
その他に、現実には見えないものが見える幻視や、手足が震えたり歩幅が小刻みになって転びやすくなる症状(パーキンソン症状)があらわれるレビー小体型認知症、スムーズに言葉が出てこない、言い間違いが多い、感情の抑制がきかなくなる、社会のルールを守れなくなるといった症状があらわれる前頭側頭型認知症といったものがあります。

65歳以上は5人に1人が認知症に

平成29年版高齢社会白書によると、2020年の日本における65歳以上の認知症の人の数は約600万人と推計されています。2025年には約700万人(高齢者の約5人に1人)が認知症になると予測されています。

認知症と加齢による物忘れの違い

もの忘れには、加齢によるもの忘れと認知症によるもの忘れがあります。違いの区別は、現実にはなかなか難しいものです。すべてではありませんが、認知症に気づくためには、左表のような違いが役立ちます。

◆「加齢よるもの物忘れ」と「認知症による物忘れ」の違い
  加齢によるもの忘れ 認知症によるもの忘れ
体験したこと 一部を忘れる
(例:朝ごはんのメニュー)
すべてを忘れている
(例:朝ごはんを食べたこと自体)
学習能力 維持されている 新しいことを覚えられない
もの忘れの自覚 ある なくなる
探し物に対して (自分で)努力して見つけられる いつも探し物をしている。誰かが盗ったなどと、
他人のせいにすることがある
日常生活への支障 ない ある
症状の進行 極めて徐々にしか進行しない 進行する

(出典)厚生労働省ホームページ

両親に寄り添った日々

自宅で両親を介護した森邦彦さんに、介護の中で感じた想いを聞きました。

※自宅で両親の介護を続けた森邦彦さん。自身と同じ悩みを抱える人の助けになればと「認知症を支える家族の会『スマイル』」を立ち上げました。

両親への感謝

私は昭和17年に3人兄妹の長男として生まれました。家は農業を営んでおり、当時は長男が家業を継ぐのが当たり前の時代でしたが、若い時にいろいろな経験をしたいと思い、島外での就職を希望しました。そのときに 一 つ返事でOKしてくれた両親には、感謝の気持ちでいっぱいでした。
実家には、週末や農繁期、連休のときに帰省していましたが、13年前の5月、大型連休で実家に帰省したとき、それまで元気だと思っていた両親が想像以上に老いていることを感じました。自分の身の回りのことするのにも苦労する姿を見て、「今の私があるのは両親のおかげだ」と介護を決意しました。

介護での苦労

当時88歳の母は足腰が悪く、ベッドからの上り下りが大変で、介助する自分も腰や腕が痛くなりました。私が外出しているときにベッドから下りようとして、けがをしたこともありました。また、昼間に寝て、夜に起きることもたびたびで、私が寝ているときに何度も声を掛けられたり、テレビの大音量が聞こえたりして、睡眠不足になりました。母の体が少しずつ弱り、横になっての食事になったときには誤嚥に気をつけました。入浴やトイレの介助にも苦労しました。
父は102歳まで生きた人で、体は丈夫でしたが、100歳くらいの頃から軽い認知症の症状が出るようになりました。母が93歳で亡くなって2年ほど過ぎていましたが、母の名前を呼びながら庭や部屋の中を探し続けたこともありました。介護の中で、特に困ったのは徘徊です。真夏にお茶も持たずに出かけたり、真冬に部屋着のまま出かけたりしたこともあり、危険な状況でしたが、大勢の人のおかげで発見できました。深夜に「お父さんを見たよ」と親切に連絡をいただいたときは大助かりでした。

大勢の人の助けがあって

介護の知識や経験もなかった私。妻は20年以上前に亡くなっており、相談するパートナーもおらず、両親の介護度が進むにつれて不安と心配が大きくなりました。耳が聞こえにくくなった両親との会話は大声になり、何度同じことを言っても忘れることが多く、疲労とストレスで私の体調不良が進んでいました。デイサービスやショートステイの利用、将来的な施設の入所をお願いしましたが、両親は入所を嫌い、自宅に最期までいることを希望しました。
在宅サービスの受け入れが実現すると、ケアマネジャーさんやヘルパーさんに両親がお世話になっている間に、自分は好きなカラオケや家庭菜園を始めることができ、心労が軽くなり、両親の気持ちに寄り添うこともできるようになりました。
いろいろな出来事がありましたが、大勢の人のおかげで両親は最期まで自宅で暮らすことができました。振り返ってみると「老いは誰もが通る道」と理解して、両親の気持ちに笑顔で寄り添えたことが良かったと思います。10年前、自分と同じ悩みを持つ人たちの支えになればと「認知症を支える家族の会『スマイル』」を設立しました。少子高齢化の時代、これから認知症について悩む人が増えていくのではと思います。困ったときに一人で抱え込まずに相談でき、支え合い、励まし合える場となるように活動を続けていきたいです。

「スマイル」がすすめる認知症の症状を進めない秘訣

  • できることは自ら進んでやる
  • 積極的に外に出て活動する
  • やる前から無理だとあきらめず、まずは始める
  • ストレスが溜まることはやめる
  • 何事にも関心を持つ
  • 十分な睡眠をとり、規則正しい生活を送る
  • 美しいものを見たり、楽しいことをしたりする
  • 生かされていることに感謝する
  • 役割を持って充実した人生を送る