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鎧塚にある墓標と慰霊碑
宝塚予科練少年兵の墓地
宝塚海軍航空隊は、1945年3月に編成されました。1945年8月2日、終戦間際の日本は物資不足に陥っていたため、訓練に使用する飛行機はなく、航空隊の候補生である少年兵たちは、阿那賀に砲台を建設するため住吉丸に乗船しました。鳴門海峡に差し掛かったところで、米軍の機銃掃射を受け、住吉丸は沈没しました。乗船者110名のうち、士官および予科練の少年兵82名が犠牲となりました。昭和40年に阿那賀の鎧塚という場所に慰霊碑と墓標が建てられました。