ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地トップページ > 南あわじ市歴史文化遺産 > 所在地でさがす > 賀集 > 田中家住宅主屋 一棟(たなかけじゅうたくおもや ひとむね)

本文

田中家住宅主屋 一棟(たなかけじゅうたくおもや ひとむね)

更新日:2021年7月1日更新印刷ページ表示
旧国道沿いに建つ田中家住宅

区分

国登録

分類

有形文化財

種別

建造物

指定年月日

平成19年12月5日

所有者及び管理者

個人

所在地

南あわじ市賀集立川瀬

時代または年代

明治時代【明治14年(1881)】

備考

明治14年/大正11年・昭和初期増築
大きさ:建築面積305平方メートル

内容

  卓越(たくえつ) した 淡路酪農(あわじらくのう) の 指導者(しどうしゃ) で 淡陶社(だんとうしゃ) ( 現(げん) 株式会社(株式会社) ダントー)の 設立(せつりつ) にも 参画(さんかく) した 田中萬米(たなかまんべい) 氏(し) の 居屋敷(いやしき) で、 萬米(まんべい) というのは 賀集(かしゅう) の 素封家(そほうか) (注1)である 田中家(たなかけ) 代々(だいだい) の 当主名(とうしゅめい) です。5 代目(だいめ) の 萬米(まんべい) が 特(とく) に 有名(ゆうめい) で 明治時代中期(めいじじだいちゅうき) において、 田畑(たはた) に 投資(とうし) を 行(おこな) い、 五十町歩(ごじゅうちょうぶ) (注2)を 所有(しょゆう) する 大地主(だいじぬし) となりました。この 主屋(おもや) は 古(ふる) くから 遍路道(へんろみち) ともよばれた 旧国道沿(きゅうこくどうぞ) いにあり、 南面(なんめん) して 建(た) っています。 桁行(けたゆき) 7 間(かん) 、 梁間(はりま) 6 間(かん) 、 入母屋造本瓦葺(いちもやづくりほんかわらぶき) の 一部(いちぶ) 2 階建(かいだて) で、 東方(とうほう) を 土間(どま) 、 西方(せいほう) を 床上部(とこじょうぶ) とし、 南西(なんせい) の 上座敷(うえざしき) と 北西(ほくせい) の 居間(いま) との 間(あいだ) に 当時(とうじ) としては 珍(めずら) しい 中廊下(なかろうか) を 通(とお) しているのが 特徴(とくちょう) です。 西側正面(にしがわしょうめん) 4 間分(けんぶん) は 増築(ぞうちく) で、 仏間(ぶつま) や 納戸(なんど) 、 茶室(ちゃしつ) などを 設(もう) けています。 繊細(せんさい) な 造作(ぞうさ) の 数寄屋風(すきやふう) です。
  明治(めいじ) ・ 大正(たいしょう) ・ 昭和(しょうわ) の 淡路島(あわじしま) の 文化(ぶんか) ・ 経済(けいざい) の 立(た) て 役者(やくしゃ) となった「 田中萬米(たなかまんべい) 氏(し) 」の 歴史(れきし) と 共(とも) に“ 国土(こくど) の 歴史的景観(れきしてきけいかん) に 貢献(こうけん) しているもの”として 国登録有形文化財(くにとうろくゆうけいぶんかざい) に 登録(とうろく) されています。

注1  素封家(そほうか) … 金持(かねも) ち、 財産家(ざいさんか) のこと。
注2  町(ちょう) … 約(やく) 109メートル