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木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)

更新日:2021年7月1日更新印刷ページ表示
阿弥陀定印を結ぶ阿弥陀如来坐像(紅頗黎色阿弥陀如来)

区分

市指定

分類

有形文化財

種別

彫刻

指定年月日

平成12年10月30日

所有者及び管理者

栄福寺

所在地

南あわじ市榎列掃守1068

時代または年代

平安時代中期

備考

大きさ:高さ57センチメートル

内容

 かつては 高和寺こうわじ (注1)の 本尊ほんぞん であったと つた えられています。 あたま宝冠ほうかん せ、 腹前はらまえ定印じょういん印相いんそうむす んでいます。 頭髪とうはつ群青塗ぐんじょうぬ り、 肉身部にくしんぶ金泥塗こんでいぬ り、 衣部いぶ はベンガラ 漆塗うるしぬ です。 一木造いちぼくづく り(注2)で 像内ぞうない内刳うちぐ りがされているようです。 像底ぞうてい底板そこいた られており、 構造こうぞう などは 不明ふめい です。 体部たいぶあつ く、 面奥めんおくふか頭部とうぶたい して 脚部きゃくぶちい さく、また 両膝前りょうひざまえ衣文えもん同心円状えんしんえんじょうあらわ れています。このような 作風さくふう平安時代中期へいあんじだいちゅうき特徴とくちょうしめ しています。しかし 面相めんそう江戸時代風えどじだいふう衣文えもん なども なお しがあるようで、このことからこの ぞう平安時代中期へいあんじだいちゅうきつく られましたが、 江戸時代えどじだいもと面相めんそう がわからなくなるほど 大幅おおはば修復しゅうふく けたと かんが えられます。

 

注1  高和寺こうわじ瑞井八幡神社みずいはちまんじんじゃ松帆まつほ 北方きたがた )の なか にあり、 明治めいじ まで 社僧しゃそう として 神職しんしょく僧職そうしょく ねていた。 明治めいじ 元年がんねん (1868)の 神仏分離令しんぶつぶんりれい により 明治めいじ 3 ねん栄福寺ようふくじ合併がっぺい
注2  一木造いちぼくづく り… 本来ほんらい一本いっぽん木材もくざい から 仏像だいぶつ全身ぜんしん丸彫まるぼ りにしたものをいう。 木像もくぞううで脚部きゃくぶころも などは 別木べつき だが、 頭部とうぶ胴部どうぶ とが 一本いっぽんつく るもの。

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