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石造五輪塔・石造宝篋印塔(せきぞうごりんとう・せきぞうほうきょういんとう)

更新日:2021年7月1日更新印刷ページ表示
石造五輪塔
石造宝篋印塔
石造五輪塔を中央に両側に2基ずつ建てられた石造宝篋印塔

区分

県指定

分類

有形文化財

種別

建造物

指定年月日

昭和42年3月31日

所有者及び管理者

日光寺

所在地

南あわじ市松帆櫟田196

時代または年代

石造五輪塔:鎌倉時代【元亨2年(1322)】 石造宝篋印塔:南北朝時代【応安7年(1374)】

備考

石造五輪塔:元亨2年(1322)刻銘
石造宝篋印塔:応安7年(1374)刻銘

内容

  日光寺にっこうじ墓地ぼち に、5 ふるおお きな 供養塔くようとう があり、その 中央ちゅうおう にあるのが 五輪塔ごりんとう です。この とうした から 四角しかくえん三角さんかく半円はんえん宝珠形ほうじゅがた五輪ごりん げ、 仏教ぶっきょう でいう 五大ごだいすいふうくう )をかたどった とう密教みっきょう (注)ではこの 五大ごだい事物じぶつ不変ふへん本性ほんせい ととらえて 五輪ごりんしょう しており、 宇宙うちゅう根元こんげん象徴しょうちょう する 供養塔くようとう です。 地輪じりん に「 元亨げんこう 二年にねん 」の 刻銘こくめい があり、 鎌倉時代かまくらじだい代表的だいひょうてき五輪塔ごりんとうひと つ です。
  五輪塔ごりんとう両側りょうがわ に、2 ずつ てられているのが 宝篋印塔ほうきょういんとう です。この とう はもともと「 宝篋印陀羅尼経ほうきょういんだらにきょう 」というお きょうおさ めるために たて てられましたが、 のち墓碑塔ぼひとう追善塔ついぜんとう わっていきました。
 これら4 とうなか に、「 應安おうあん 七年しちねん 」の 刻銘こくめい があり、 南北朝時代なんぼくちょうじだい てられた 石塔せきとう としては 保存ほぞん く、 形態けいたいととの っています。

 

注  密教みっきょうほとけ大日如来だいにちにょらい )と 業者ぎょうしゃ一体いったい となる ぎょう三密行さんみつぎょう )を つう じて ほとけ人間にんげん本質的ほんしつてきこと ならないことを るための おし え。

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