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高麗陣打死衆供養石碑(こうらいじんうちじにしゅうくようひせき)

更新日:2021年7月1日更新印刷ページ表示
供養碑の左右には法名が刻まれている
江善寺境内にある供養碑

区分

県指定

分類

有形文化財

種別

建造物

指定年月日

昭和36年8月23日

所有者及び管理者

江善寺

所在地

南あわじ市松帆江尻516

時代または年代

安土桃山時代

備考

大きさ:高さ110センチメートル

内容

  高麗陣こうらいじん とは、 文禄ぶんろく 元年がんねん (1592) 豊臣秀吉とよとみひでよし朝鮮半島ちょうせんはんとう出兵しゅっぺい した 文禄ぶんろくえき のことです。この いくさ では、 洲本城すもとじょう から 脇坂安治わきさかやすはる志知城しちじょう からは 加藤嘉明かとうよしあき水軍すいぐん編成へんせい して 出陣しゅつじん しました。 当時とうじ 、この 石碑せきひ てられている 松帆まつほ 江尻えじり あたりからも 若者わかもの たちが 脇坂水軍わきさかすいぐん徴用ちょうよう されたのでしょう。
 この 上部じょうぶ には 弥陀三尊みださんぞん (注1)の 種子しゅじ (注2)、その した南無阿弥陀仏なむあみだぶつ文字もじきざ まれており、その 左右さゆう に15 めい ずつ30 めい法名ほうみょう (注3)と 祥月命日しょうつきめいにち (注4)が きざ まれています。このことから、 朝鮮出兵ちょうせんしゅっぺい戦死せんし した 若者わかもの たちのために てられた 供養塔くようとう であることがわかります。

 

注1  弥陀三尊みださんぞん阿弥陀仏あみだぶつ と、その 左右さゆうひだり観音かんのんみぎ勢至せいし二菩薩にぼさつ のこと。
注2  種子しゅじ密教みっきょうほとけ菩薩ぼさつ標示ひょうじ する 梵字ぼんじ
注3  法名ほうみょう死後しご におくる
注4  祥月命日しょうつきめいにち一周忌いっしゅうき 以後いご における 故人ごじん死去しきょ当月とうげつ 当日とうじつ

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