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八幡橋(やはたばし)

更新日:2024年2月1日更新印刷ページ表示
八幡橋1
八幡橋2
八幡橋3

区分

市指定

分類

有形文化財

種別

建造物

指定年月日

令和3年(2021)2月19日

所有者及び管理者

賀集八幡神社

所在地

南あわじ市賀集八幡734

時代または年代

明治時代

備考

大きさ:橋長は8.55m、欄干の端から端は11.72m、橋高は北側4.2m

内容

 八幡橋(やはたばし)は、もとは賀集八幡神社(かしゅうはちまんじんじゃ)参道(さんどう)山路川(やまじがわ)()けられていた板橋(いたばし)でしたが、明治元年(めいじがんねん)(1868)に(こわ)れ、通行(つうこう)困難(こんなん)となったことから、地元(じもと)大地主(おおじぬし)であった印部喜与門(いんべきよもん)名東県(みょうどうけん)(注1)に()()い、総製作費(そうせいさくひ)694(えん)44(せん)6(りん)のうち、619(えん)40(せん)5(りん)(注2)を自己負担(じこふたん)して花崗岩製(かこうがんせい)石橋(いしばし)()()え、淡路島唯一(あわじしまゆいいつ)のめがね(ばし)ができました。
 竣工後(しゅんこうご)93(ねん)()った昭和(しょうわ)45(ねん)(1970)、山路川(やまじがわ)改修工事(かいしゅうこうじ)(ともな)い、賀集八幡神社(かしゅうはちまんじんじゃ)東南(とうなん)谷川(たにがわ)移転(いてん)され、保存(ほぞん)されています。
 当時(とうじ)(いた)(はし)砂岩(さがん)石橋(いしばし)ばかりでしたが、この(はし)皇居二重橋(こうきょにじゅうばし)よりも10(ねん)(はや)建造(けんぞう)され、いかに堅固(けんご)造形的(ぞうけいてき)にも斬新(ざんしん)荘厳(そうげん)(うつく)しいものであったかが理解(りかい)できる貴重(きちょう)建造物(けんぞうぶつ)です。


注1 名東県(みょうどうけん)明治(めいじ)4(ねん)(1871)の廃藩置県(はいはんちけん)によって、阿波国(あわこく)讃岐国(さぬきこく)淡路国(あわじこく)合併(がっぺい)してできた(けん)のこと
注2 明治時代(めいじじだい)の1(えん)=2万円(まんえん)換算(かんさん)すると、(やく)1,240万円(まんえん)
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