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羽柴秀吉による禁制書(はしばひでよし きんぜいしょ)

更新日:2024年1月25日更新印刷ページ表示
禁制

区分

市指定

分類

有形文化財

種別

書跡

指定年月日

令和5年(2023年)2月20日

所有者及び管理者

法蔵寺

所在地

南あわじ市市市40-1

時代または年代

安土桃山時代

備考

大きさ:高さ31.4センチ、幅49.6センチ
材質:紙
2000年に1巻の巻子に改装

内容

 羽柴秀吉(はしばひでよし)による淡路攻(あわじぜ)めの(あと)天正(てんしょう)9(ねん)(1581)に6つの(むら)(注1)に(たい)して()された禁制(きんぜい)(注2)です。(いくさ)勝者(しょうしゃ)である羽柴軍(はしばぐん)による村内(そんない)での乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)放火(ほうか)禁止(きんし)し、(ちい)さな窃盗(せっとう)をしても厳罰(げんばつ)(しょ)すことを、秀吉(ひでよし)が6つの(むら)約束(やくそく)したものです。
 この史料(しりょう)は、秀吉(ひでよし)花押(かおう)(注3)や書風(しょふう)(ふで)(いきお)いなどから、正本(せいほん)(注4)と(かんが)えられます。
 江戸時代(えどじだい)()わりに()かれた淡路四草(あわじよんくさ)(注5)には、この禁制書(きんぜいしょ)(おな)日付(ひづけ)でほぼ(おな)内容(ないよう)のものが、三原郡掃守村(みはらぐんかもりむら)津名郡檜原下村(つなぐんひそのはらしもむら)机浦(つくえうら)にも(つた)わっていたと()かれており、淡路(あわじ)村々(むらむら)に同(おな)内容(ないよう)禁制(きんぜい)()されていたことがわかります。
 この史料(しりょう)は、秀吉(ひでよし)()した禁制書(きんぜいしょ)(なか)(たん)最初期(さいしょき)のもので現存数(げんぞんすう)(すく)ないことだけでなく、戦国末期(せんごくまっき)における村落(そんらく)(いくさ)への対処方法(たいしょほうほう)がわかるものとして、非常(ひじょう)重要(じゅうよう)史料(しりょう)です。


注1 (むら)()()かれていないが、江戸時代(えどじだい)郷土史家(きょうどしか)小西友直(こにしともなお)は、市村(いちむら)三条村(さんじょうむら)善光寺村(ぜんこうじむら)小井村(おいむら)浦壁村(うらかべむら)壇村(だんむら)ではないかと(かんが)えた
注2 禁制(きんぜい)(おきて)禁令(きんれい)(ひろ)()らしめるため(つく)られる文書(ぶんしょ)のひとつ。戦国期(せんごくき)には、戦乱(せんらん)による被害(ひがい)()けるため、寺社(じしゃ)などが軍勢(ぐんぜい)(しょう)戦国大名(せんごくだいみょう)保護(ほご)(もと)めて代価(だいか)支払(しはら)い、これに(こた)えて禁制(きんぜい)()される
注3 花押(かおう)文書(ぶんしょ)差出人(さしだしにん)が、本人独自(ほんにんどくじ)(しるし)として()(くわ)える図案化(ずあんか)された署名(しょめい)のこと
注4 正本(せいほん)権限(けんげん)のある(ひと)によって()かれた、原本(げんぽん)同一(どういつ)効力(こうりょく)()文書(ぶんしょ)のこと
注5 淡路四草(あわじよんくさ)江戸時代後期(えどじだいこうき)()かれた郷土史(きょうどし)淡路常磐草(あわじときわぐさ)』、『淡路草(あわじぐさ)』、『堅磐草(かきわぐさ)』、『味地草(みちくさ)』のこと
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