ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

幡多銅戈(はたどうか)

更新日:2024年1月18日更新印刷ページ表示
銅戈の写真1
銅戈の写真2

区分

市指定

分類

有形文化財

種別

考古資料

指定年月日

令和4年(2022年)2月28日

所有者及び管理者

南あわじ市

所在地

南あわじ市神代国衙1100

時代または年代

弥生時代

備考

破片数:25点
大きさ:長さ0.34~9.35センチ、幅0.3~3.38センチ
材質:青銅

内容

 幡多遺跡(はたいせき)行当地(ぎょうとうち)地区(ちく)(注1)の土坑(どこう)長径(ちょうけい)150cm・短径(たんけい)90cm)から、近畿型銅戈(きんきがたどうか)(注2)の破片(はへん)25(てん)出土(しゅつど)しました。
 破片(はへん)部位(ぶい)から、5本分(ほんぶん)銅戈(どうか)破片(はへん)であることがわかりました。
 これまでに確認(かくにん)されている近畿型銅戈(きんきがたどうか)(くら)べて、幡多銅戈(はたどうか)構造(こうぞう)文様(もんよう)省略化(しょうりゃくか)がさらに(すす)んでおり、土器片(どきへん)とともに出土(しゅつど)したことから()められた時期(じき)がわかります。また、銅戈片(どうかへん)には鋳造時(ちゅうぞうじ)にできるはみ()しが(まった)くないことから、これらは完成品(かんせいひん)であり、鋳造(ちゅうぞう)した(とき)破損(はそん)ではないことがわかります。これまで青銅製(せいどうせい)祭器(さいき)丁寧(ていねい)(あつか)いを()けていたことがわかっていますが、幡多銅戈(はたどうか)は“破壊(はかい)”という行為(こうい)()けており、青銅(せいどう)使(つか)った祭祀(さいし)()わり(かた)儀式(ぎしき)変化(へんか)など、弥生時代(やよいじだい)祭祀(さいし)研究(けんきゅう)重要(じゅうよう)資料(しりょう)となります。


注1 幡多遺跡(はたいせき)行当地(ぎょうとうち)地区(ちく)弥生時代(やよいじだい)中期(ちゅうき)遺跡(いせき)(いけ)(せっ)する調査区(ちょうさく)からは、普段使(ふだんづか)いではない大型(おおがた)(つぼ)がそこで(こわ)されたような状態(じょうたい)出土(しゅつど)し、なんらかのマツリを(おこな)っていたと(かんが)えられる。
注2 近畿型銅戈(きんきがたどうか)銅戈(どうか)中国(ちゅうごく)起源(きげん)とする青銅製(せいどうせい)武器(ぶき)である。九州(きゅうしゅう)では武器(ぶき)としての機能(きのう)()ち、(はか)副葬(ふくそう)されていたが、近畿(きんき)出土(しゅつど)する銅戈(どうか)は、武器(ぶき)としての機能(きのう)はなく、九州(きゅうしゅう)とは(こと)なる文様(もんよう)で、(はか)からは出土(しゅつど)しない。大阪湾(おおさかわん)沿岸(えんがん)出土(しゅつど)していたため、大阪湾型銅戈(おおさかわんがたどうか)()ばれていたが、近年(きんねん)は、西(にし)鳥取県(とっとりけん)(ひがし)長野県(ながのけん)からも出土(しゅつど)するため、近畿型銅戈(きんきがたどうか)(あらた)められた。
<外部リンク>