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高麗陣打死衆供養石碑

印刷用ページを表示する更新日:2016年6月3日更新 <外部リンク>

高麗陣打死衆供養石碑(こうらいじんうちじにしゅうくようせきひ)

 高麗陣とは、文禄元年(1592年)豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄の役のことです。この戦では、洲本城から脇坂安治、志知城からは加藤嘉明が水軍を編成して出陣しました。当時、この石碑が建てられている松帆江尻あたりからも若者たちが脇坂水軍に徴用されたのでしょう。
 この碑の上部には弥陀三尊の種子、その下に南無阿弥陀仏の文字が刻まれており、その左右に30人の法名と祥月命日が刻まれています。このことから、朝鮮出兵で戦死した若者たちのために建てられた供養塔であることがわかります。昭和36年に兵庫県指定重要文化財に指定されています。

高麗陣討死衆供養石碑
高麗陣打死衆供養石碑