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直原玉青没後10年 善縁コレクション展5 ~千福寺コレクションから~ <其の弐> 高野山開創1200年 弘法大師修行図絵

印刷用ページを表示する更新日:2015年7月2日更新 <外部リンク>

平成27年度特別展

「直原玉青没後10年 善縁コレクション展5 ~千福寺コレクションから~<其の弐>高野山開創1200年 弘法大師修行図絵」


会期:平成27年4月25日~6月28日




直原玉青没後10年 善縁コレクション展5 千福寺コレクションから 其の弐 弘法大師修行図絵

高野開創

【 高野開創 】



直原玉青は、1904年(明治37)岡山県に生まれ、2歳で淡路島の洲本市に移住しました。16歳のときに母が病死、父とも生別し、自身も生死関わる病気を患い「自らの人生に悔いが残らぬように」と画家を志し上阪、矢野橋村のもとで本格的に南画を描き始めました。以来80年に及ぶ画業を現代南画の普及・発展のために尽くすとともに、東洋精神の涵養のため、禅の修業を積み黄檗宗の僧侶となり、また、俳人としては俳誌『ホトトギス』の同人に推挙されるなど、自ら提唱した「句画禅一如」の精神を貫き独自の南画芸術を確立しました。


 洲本市で幼少期を過ごした彼は、第二の故郷・淡路島に作品を残すことが念願でした。1977年(昭和52)、中学時代の同窓生の紹介で、同市内の千福寺客殿に襖絵を揮毫する機会を得ました。これが池に石を投げ込んだ如くに“善縁”となって広がって行き、本堂欄間に弘法大師の一生をテーマにした作品を依頼され、1980年(昭和55)に完成しました。その後も、客殿・庫裏の襖すべてに山水、花鳥などを次々に描くこととなり、2003年(平成15)、彼は多くの善縁の人たちによって支えられ、生かされてきた人生を振り返り、「善縁に生かされ白寿賜りぬ」の俳句を詠み、同寺に白寿記念の句碑が建立されました。


 本展では、2005年(平成17年)9月30日、101歳の生涯に幕を下ろした直原玉青の“善縁”をめぐる5度目の回顧展として、彼の没後10年、高野山開創1200年の節目を迎えるにあたり、玉青山愛染院千福寺所蔵の「弘法大師修行図絵」を中心に展示しました。


 本作について彼は「墨と水、線と点、濃淡の表現は『気韻生動』『骨法用筆』という物心一体であり、弘法大師が説いた真言密教の金剛界・胎蔵界の曼荼羅であろうことを知り、水墨で描くことにより大師の精神を表現した」と語っており、大師の絵伝としては他では見られない直原玉青独自の南画的表現で描きあげられた全13図を心ゆくまでご覧いただきました。



協力


 高野山真言宗 玉青山 愛染院 千福寺




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