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ふれあい市長室(77)

印刷用ページを表示する更新日:2018年4月1日更新 <外部リンク>

若人の広場の再整備に向けて


平成24年2月 南あわじ市長 中 田 勝 久


 昭和42年に森勝旧南淡町長をはじめ、多くの方々の熱い思いとご労苦により、鳴門海峡を眼下に望む景勝地大見山に「戦没学徒記念若人の広場」が建設されました。
 若人の広場は、先の大戦において、学業半ばで若くして戦地や軍需工場に動員され亡くなられた約20万人もの純真な魂を追悼し、若人の遺志や戦争の悲惨さを後世に伝え、二度と戦争を繰り返さないという「平和を誓う施設」として、また、今と昔の「若人の心と心の対話の広場」として設置されました。
 竣工当初は、年間10万人の来訪者を数えた施設も、時代の変化や施設の老朽化により訪問者が激減し、施設を所有する財団法人の運営が悪化、平成7年の阪神・淡路大震災による施設破損も重なり、残念ながら閉館状態が続いておりました。旧南淡町では、広場の変わり果てた状況を憂い、財団法人はじめ国・県への施設の再開に向けた働きかけなど東奔西走しながら、平成16年には、所蔵遺品を適切に保管するため、立命館大学国際平和ミュージアムへ寄贈しました。
 合併以降も市の重要案件として引継ぎ、全力で陳情を繰り返し、地元や国・県の関係者のご尽力をいただきながら、平成18年12月に文部科学省及び厚生労働省から財団法人に対し設立許可の取消が決定され、平成22年6月に市が土地・建物等を3千万円で買収することができました。
 若人の広場は、世界的に有名な建築家丹下健三氏の設計で、平和に対する高い意識をお持ちの方であったとお伺いしております。丹下健三氏は、広島平和記念資料館の設計も行い、若人の広場と対になるような建築であるとも言われております。
 現在、丹下健三氏のご子息で建築家の丹下憲孝氏のお力をお借りして、兵庫県や関係者の絶大な支援をいただきながら「若人の広場」の再整備に向けて検討を重ねております。
 歴史的に重要な施設であり、風化させてはならない尊い犠牲を追悼する若人の広場を市民や来訪者が憩い安らげる公園化に向けて努力してまいりますので、市民の皆様におかれましてはご理解ご協力下さいますようお願いします。


昭和42年当時の若人の広場の写真です平成23年現在の若人の広場の写真です
 ▲昭和42年当時                                      ▲平成23年現在