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木辺遺跡の現地説明会を開催しました
神代国衙~賀集立川瀬地区で発掘調査を行っている、木辺(きべ)遺跡の発掘調査現地説明会を開催しました。 午前中は小雨が降り、足元が悪いなか、たくさんの人が見学に来てくださいました。 今回見つかった建物群は昨年発見された倉庫群よりも柱穴が大きく、すべてが北を向くという規格性を持ち、畿内産土師器(きないさんはじき・都で作られた土器)の出土から、郡衙に関連する建物群と考えられました。ただし、役所の中心の建物としては規模が小さいことから、役人の官舎と思われます。 淡路国府は三原平野内にあったと考えられますが、所在は不明です。近年の発掘調査で、大日川沿いには官衙が所在していたことがわかってきていて、国府の発見も間もなくかもしれません。
官衙(かんが)とは?
奈良~平安時代の制度である郷里制(ごうりせい)は、行政区画を国・郡・郷に区画しました。国=県、郡=市・郡、郷=区・町にあたります。各行政区に置いた役所を官衙と言い、国の役所は国府、郡の役所は郡衙と呼ばれました。 淡路島は1つで”淡路国”となり、”津名郡・三原郡”に分かれます。三原郡は”倭文(しとり)・幡多・榎列・養宜(やぎ)・神稲(くましろ)・賀集(かしお)・阿万”の7郷がありました。木辺遺跡は賀集と神稲の境付近にあります。 このように1,000年以上前の地名が淡路島には多く残っています。