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本文

金剛界曼陀羅・胎蔵界曼荼羅(こんごうかいまんだら・たいぞうかいまんだら)

更新日:2021年7月1日更新印刷ページ表示
金剛界曼荼羅
胎蔵界曼荼羅

区分

市指定

分類

有形文化財

種別

絵画

指定年月日

平成2年3月16日

所有者及び管理者

聲明寺

所在地

南あわじ市志知鈩69

時代または年代

室町時代【天文17年(1548)】

備考

天文17年(1548)制作、寛文10年(1670)補修
【金剛界曼荼羅】大きさ:縦102センチメートル、横82センチメートル
【胎蔵界曼荼羅】大きさ:縦97センチメートル、横82センチメートル

内容

  曼荼羅まんだら とは、 密教みっきょう (注1)の 中心尊格ちゅうしんそんかく である 大日如来だいにちにょらい中心ちゅうしん諸仏しょぶつ菩薩ぼさつ一定いってい形式けいしき整然せいぜんならえが いた 集合図しゅうごうず のことです。 金剛頂経こんごうちょうぎょう をもとにして えが かれたのが 金剛界曼荼羅こんごうかいまんだら (注2)で、 大日経だいにちきょう をもとにしたのが 胎蔵界曼荼羅たいぞうかいまんだら (注3)で、これら 二幅にふく一対いっつい にしたものが 両界曼荼羅りょうかいまんだら です。 
 この 天文てんぶん 17 ねん (1548)に 制作せいさく寛文かんぶん 10 ねん (1670)に 補修ほしゅう されています。 両図りょうず一定いってい方式ほうしきしたが整然せいぜんえが かれ、 緻密ちみつふで づかいで、 彩色さいしき鮮明せんめいうつく しい 密教絵画みっきょうかいが です。

 

注1  密教みっきょうほとけ大日如来だいにちにょらい )と 行者ぎょうじゃ一体いったい となる ぎょう三密行さんみつぎょう )を つう じて ほとけ人間にんげん本質的ほんしつてきこと ならないことを るための おし え。
注2  金剛界こんごうかい …『 金剛頂経こんごうちょうぎょう 』で かれる 唯一絶対ゆいいつぜったい実在界じつざいかい のこと。 ただ しくは 一切如来身語心金剛界いっさいにょらいしんごしんこんごうかい という。
注3  胎蔵界たいぞうかい胎蔵たいぞう とはサンスクリット garbha-kośaの 漢訳語かんやくご で、 一切いっさい含蔵がんぞう する 意義いぎゆう し、また 母胎中ぼたいちゅう男女だんじょ諸子しょしまもそだ てる 意義いぎゆう している。

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