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養宜館跡(やぎやかたあと)

更新日:2021年7月1日更新印刷ページ表示
養宜館跡石碑
南側から観た養宜館跡。土塁跡に木が生い茂りその形を認めることができる

区分

県指定

分類

記念物

種別

史跡

指定年月日

昭和46年4月1日

所有者及び管理者

養宜館跡保存会

所在地

南あわじ市八木養宜中191ほか

時代または年代

南北朝時代~室町時代

内容

 ここは、 中世以来ちゅうせいいらい大土居おどい ばれていました。 南北朝なんぼくちょう から 室町時代むろまちじだい にかけて180 ねん あま りの 守護大名しゅごだいみょう 細川氏ほそかわし居館きょかん でした。 館跡やかたあと は、 東西とうざい やく 120メートル、 南北なんぼく やく 250メートルの 敷地しきち で、 ひがしきたみなみ三方さんほう には 山地さんち丘陵きゅうりょう があり、 西にし には 成相川なりあいがわきた には 養宜川ようぎがわ外堀状そとぼりじょうなが れ、 やかた周囲しゅうい には 土塁どるい (注1)と 空濠からぼり (注2)をめぐらせた 長方形ちょうほうけい豪壮ごうそうかま えでした。この やかた様式ようしき中世前期形式ちゅうせいぜんきけいしき城郭じょうかく で、 居館きょかん政庁せいちょう守護所しゅごしょ )をかねた しろぞく するものです。この 館跡やかたあと は、 政庁せいちょう遺構いこう輪郭りんかく存在そんざい する 重要地域じゅうようちいき です。

 

注1  土塁どるいつち げて きず いたとりで。
注2  空濠からぼりみず のない ほり山城さんじょうおお く、 障害しょうがい として もう けるほか、 城兵じょうへい通路つうろ などにも もち いる。

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